申年につけた白干梅申年の梅
申年(さるどし)の梅は、平安中期に村上天皇が病を梅干しと昆布茶で克服されたとされている申年以来、珍重され続けています。
平安中期、人皇第六十二代村上天皇の天徳四年(960年)は申年でした。その年は、都に疫病が流行り、天皇ご自身も病に倒れられましたが、梅干しと昆布茶で克服されたというお説がございます。以来、「申年の梅」は珍重されております。
また、江戸時代の天明の飢饉のときは、全国で飢餓や疫病により多くの人が亡くなりましたが、村上天皇の故事に習った紀州藩だけは梅干によって亡くなった人がほどんどなかったといわれ、その年がやはり申年であり、この年に漬けた梅だったともいわれます。「無病息災・厄除け・家内安全」の願いを込めて申年の梅をお届けいたします。
みなべ地方に3月に雹による甚大な被害がありました。キズのない梅はほとんど獲れない状況でした。よって申年の梅はキズあり梅干となります。キズありの梅干しとはいえ、使っている梅はすべて店主が梅の本場、和歌山県みなべ町の自家農園で愛情を込めて育てた、国産の紀州南高梅でございます。